「沖縄の人は先住民族か?」という問いから考える、歴史の「入れ子構造」と現代の論点
近年、国連の人権関連委員会等から「沖縄の人々は先住民族である」とする勧告が出され、日本政府がこれに抗議・完全否定するだけでなく、地元・沖縄の地方議会(石垣市や宮古島市など)からも勧告撤回を求める意見書が可決されるなど、国内外で議論が続いています。
この「沖縄の人は先住民族なのか?」という問いを考える際、まず欠かせないのは「どの時代の、どの出来事を基準点にしているのか」という視点です。
現代の議論が「1879年(琉球処分)」を起点とする理由
現在展開されている先住民族論において、推進派が議論の起点としているのは1879年の「琉球処分(明治政府による沖縄県の設置と併合)」です。
なぜこの年が選ばれるのかといえば、国際法や国連における「先住民族」の枠組みが、「近代国家の形成・拡大過程において、主権や土地を奪われ、同化政策の対象とされた人々」を保護・救済する前提で作られているからです。
推進派は、幕末期に琉球王国が米・仏・蘭と結んだ「修好条約」を根拠に、「琉球は近代国際法上の主権国家だったが、明治政府によって一方的に併合された」という「近代国家(大日本帝国) 対 主権国家(琉球)」の二項対立を描こうとします。
「修好条約」の虚実と、薩摩・幕府の影
しかし、この前提自体にも歴史的な無理があります。
1609年の薩摩侵攻以降、琉球は薩摩藩の支配下に置かれ、徳川幕府の幕藩体制の中に実質的に組み込まれていました。当時の琉球は、清との朝貢貿易を維持するために「異国」の体裁を保ちつつも、実際には薩摩藩の強い監督・統制を受けていた「日清両属」の状態でした。
幕末にペリーらが来航して結ばれた琉米修好条約(1854年)やその後の仏・蘭との条約も、琉球王府が完全に独立した主権国家として単独決断したものではなく、背後にいた薩摩藩(島津斉彬など)や幕府の意向・指示、事後承認のもとで締結されたものでした。日本側にとっても、欧米列強との全面衝突を避けつつ外圧を処理するための外交窓口として琉球が機能していた側面があります。
つまり、「主権国家だった琉球が突如として1879年に併合された」というストーリー自体が、江戸時代から続く日本の統治実態を捨象した一面的な見方に過ぎません。
なぜそれ以前の歴史(15〜16世紀)には遡れないのか?
さらに歴史を1879年以前に遡ると、「支配者(日本) 対 被支配者(沖縄)」という二項対立は完全に崩壊します。
琉球王国のコアは、もともと沖縄本島の中南部にあった三山(南山・中山・北山)であり、15世紀前半に尚巴志がこれらを統合して統一王国を築きました。その後、首里王府は周辺地域へと武力で版図を拡大していきます。
- 15世紀中頃: 奄美諸島(喜界島など)を武力制圧
- 1500年: 宮古の帰順および八重山諸島の制圧・支配(オヤケアカハチの乱)
- 1522年: 与那国島を制圧(鬼虎の討伐)
私たちが一般的にイメージする「琉球王国の領土」は、周辺島嶼への段階的な侵略と服属の歴史を経て完成したものです。
このプロセスを踏まえれば、奄美や先島諸島(宮古・八重山)の視点に立てば、「首里の琉球王府こそが外来の侵略者・支配者であり、自分たちこそが先住者である」という見方が成り立ちます。実際、首里王府の支配体制下では先島地域に過酷な人頭税が課され、重い負担を強いられていた歴史が存在します。
近代以前に遡ってしまうと、「首里王府自体が周辺地域に対する支配者であった」という事実が浮き彫りになり、「誰が誰に対する先住民族なのか」という重層的な「入れ子構造」に直面します。そのため、推進派にとっては1879年以前の歴史を深掘りすることが論理的に極めて都合が悪く、議論を遡らせることができないのです。
なぜ今、この議論が持ち上がるのか
日本列島全体の歴史を見渡しても、時代を遡れば大和朝廷による蝦夷・隼人の統合など、同様の重層的な支配・統合の歴史が存在します。それにもかかわらず、現在各地で「先住民族としての権利」が大々的に叫ばれないのは、近代以降、法の下の平等や国民としての権利・アイデンティティが広く共有されているからです。先島諸島を含む沖縄各地の人々も、自らの郷土の伝統を誇りとしつつ、広く日本国民として生活を共にしています。
そう考えると、現在沖縄においてあえて1879年という一点に時間を固定し、「先住民族論」が持ち上げられる背景には、純粋な歴史・民族の探求というよりも、米軍基地問題などに起因する「不平等感」を訴え、国連等の国際舞台で「自己決定権」をテコにした政治的レバレッジ(発言力強化)を得たいという意図が強く感じられます。
しかし、もし「過去の支配構造や現在の格差・不便」を根拠に先住権を主張する論理を通すのであれば、生活インフラ等でハンディキャップを抱える離島地域が、沖縄本島(県)に対して「先住民族としての権利」を主張してもよいはずです。しかし、離島振興の文脈でそのような議論が持ち出されることはありません。
歴史の一面的な切り取りや、特定の年代だけを都合よく利用した政治的論法に終始するのではなく、歴史が持つ重層的な経緯(入れ子構造)と現代の実態を正しく踏まえた上で、冷静な議論を行うことが求められています。