よんなーハウス

何故、宗教やスピリチュアルは過激なものへと変化するのか

2025年05月02日

宗教やスピリチュアルにおいて私の目に付く一番の問題は、それを行う人間がそのグループに属する人々との一体感を持つために宗教やスピリチュアルを実践するときです。

宗教やスピリチュアルには教義や行動規範があると思うのですが、それが厳しいときに、それを信じて守っていればその集団に認めて貰えるという場合、宗教やスピリチュアルを行っている集団に一体感を求める者はその教義や行動規範を一生懸命に守るし、それさえ守っていれば良いとなるでしょう。

そうなると行動や考えの選択肢が極端に減っていきます。

そういうときにもし危機が訪れると、自分や自分の属するグループのために教義や行動規範を守ろうとし、それが守れない他者が居ればそれは敵で、自分や自分が属するグループのために攻撃すべきだと考えるかもしれません。

この考えの選択肢をなくしていくものがマインドコントロールと言われるものでしょう。

宗教やスピリチュアルを実践している人は、それを実践する理由が何なのか考えてみるとよいかもしれません。

自分のためだけの実践なのか、それともその宗教やスピリチュアルに属さない者をも含む、全ての人達の幸せを望む実践なのか。

もし自分のためだけの実践で、その宗教やスピリチュアルを行うグループに自分が依存してしまっているのなら、過激の入り口まで来ているかもしれません。

また各自そのような立場を正していくことが、宗教やスピリチュアルを原因として起こる事件や紛争をなくしていくことになるかもしれません。

ここではグループとの一体感を得ようとする人を考えましたが、そうではなく

例えば一人でスピリチュアルなことを実践している場合でも、それが他者に対する自分の霊的優位性を証明するためのものな場合、そういう人もかなり危うい場所に来てしまっているように思います。

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