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琉球の王たちはどこから来たのか?

2024年06月29日

察度王統、第一尚氏、第二尚氏のルーツは?

はじめに 

琉球王国の歴史は、様々な王統が興亡を繰り返した複雑なものです。その中でも、察度王統の察度、第一尚氏の尚巴志、第二尚氏の尚円王という三人の王たちは、琉球の統一や国際関係に大きな影響を与えた人物として知られています。しかし、こられの王たちのルーツはどこなのでしょうか。私の想像の力で探ってみたいと思います。

ヤンバルからやってきた王たち 

結論から先に言うと、これらの王たちは沖縄島北部のいまではヤンバルと言われている地域からやってきたのではないかと考えています。ヤンバル出身だと言っても、先祖代々そこで暮らしていたわけではありません。

当時のヤンバルは北の鹿児島離島や九州本土、遠くは朝鮮から渡ってきた人達のルツボのようになっていたのではないでしょうか。

その中で勢力争いをおこない、今帰仁城の王になるものもいれば、弾き出されて中部地方の城の按司になったものもいたはずです。 


  • 察度王統の察度の父は国頭村奥間の生まれと言われていて、そこには奥間鍛冶屋という鍛冶屋があります。
    第二尚氏の尚円王が不遇の時代にその鍛冶屋に世話になったそうで、尚円王が第二尚氏にになったときに、その鍛冶屋の者を取り立てたそうです。
    とすると、察度王統を滅ぼした第一尚氏は、察度の一族に助けられた尚円王により滅ぼされたことになります。
    それが真実なら当時のヤンバルの地は、北から入ってきた人たちにより、勢力が入り乱れており、かなりドロドロの関係だったかもしれません。 
  • 第一尚氏にしてもヤンバルを経由して北の方から佐敷に移ってきたものたちと考えられるでしょう。
    当時の琉球三山は中国と朝貢していて力もあったはずなのに、そこにパッと入ってきてたちまち三山を統一したのだから相当な力を持つ後ろ盾があったのだと思われます。
    そう考えると当時の琉球はほんと謎しかありません。 
  • あと例を挙げると、沖縄で有名な護佐丸の先祖はヤンバルにある今帰仁城の主で1322年に怕尼芝に滅ぼされたそうです。
    またうるま市石川の伊波城や、うるま市具志川の安慶名城もルーツをヤンバルに持ちます。
    それに沖縄でまた有名な阿麻和利も、この安慶名城主の孫と言われています。
    沖縄島中部にはルーツをヤンバルに持つ按司が多く居たように見えます。 
©makaniaizu 2024