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祈りとエネルギー

2025年04月02日

沖縄にはウタキという祈りの場(聖地)がある。

その中のひとつ斎場御嶽(セーファウタキ)には日々多くの観光客が訪れる。

ときたまそこに行くと、その度に雰囲気が変わることに気づく。

それがどうしてなのか考えると、おそらく訪れる人がそこで気を落としたり逆にその場から気を持ち帰るからだろう。

この気のことをエネルギーと言うことにする。

このエネルギーには2種類あるようで、ひとつは土地から湧き出るエネルギー、ふたつめは人によって持ち込まれたエネルギー。

このエネルギーはその場所の岩などに定着するようだが、台風が来ると吹き飛ばされその場のエネルギーはリセットさせるようだ。

大昔、ウタキをおく場所を探した人たちは、リセットがまったく利かない例えば洞窟の奥深くなどはウタキとして不適と考えたのではないだろうか。すなわちこのエネルギーのリセットがウタキの条件だったように思う。

それはどうしてかと考えると、このエネルギーは最初の頃は光の粒のように飛び散るのだけど、古くなるとコールタールのようになりこびり付き離れない。それはウタキとして良くないし、それを解消するのにも一苦労だろう。

では人につくエネルギーはどうかというと、やはり古くなるほど剥がれにくくなりコールタールのようになる。だから人もやれパワーだ、と言ってエネルギーを手放さずため込むのはよくない。またそのエネルギーは人の感情を変化させ性格まで変える危険がある。つまりノーマルな自分ではなくなる。なのでやはり人もエネルギーをリセットする必要がある。

私自身の考えだが人は外部からエネルギーを取り込む必要などなく、自分自身から湧き出るエネルギーだけで十分なはずだ。だからやれパワースポットに行くと言い、ましてや誰が落としたかわからないエネルギーまでも貰ってくるのはよくない。危険だと思う。

また祈るときにもその貰ってきたエネルギーは邪魔になるだろう。

素の自分によって行われる祈りだからよいのだ。

エネルギーによって変に感情を高ぶらせて行うものではないのである。

エネルギーは人の性格を変えてしまう。そのせいで自分は強くなったと思うかもしれないが、それに依存すれば支配されてしまう。そんな人生は嫌なはずだ。

日々、自分についたエネルギーはリセットするようにし、素の自分で祈り生きるようにしましょう。それが一番よいと私は思う。

©makaniaizu 2024