よんなーハウス

朝の雨

雨の中、電線に一羽の鳩が止まり鳴いていた。姿は見えなかったが別の一羽と交互に鳴いていた。静かな朝の出来事だった。

もし、この鳩たちの声に言葉をあてるとしたら、どんな会話になるのだろうか、と想像してみる。

「ここにいるよ」

「ああ、そこにいるのかい」

きっと、そんな風に互いの居場所を確かめ合っているだけなのかもしれない。雨音に遮られぬよう、少しだけ張りのある声で。姿が見えなくとも、声だけで繋がる安心感。それはまるで、静かな山で「ヤッホー」と叫んだときに返ってくる、木霊(こだま)のようだと思った。木霊は、姿は見えないけれど、確かにそこにいる誰かが応えてくれているような、不思議な温もりをくれる。

窓の外は、木々の葉を濡らす「秋雨(あきさめ)」だろうか。湿った土の匂いをかすかに運びながら、雨粒がガラスを静かに叩いている。こういう日は、世界から色が少しだけ失われ、代わりに音が増える気がする。車の走る音、雨樋を流れる水の音、そして、時折聞こえてくる鳩の声。

彼らの鳴き交わす声は、何かを成し遂げようとか、どこかへ行こうとか、そういう切迫したものではない。ただ、ここにいる、という事実を知らせるためだけの、穏やかな信号のように聞こえる。その声が聞こえる範囲が、彼らのささやかな世界なのだろう。

無理に姿を探そうとは思わなかった。声が聞こえる、それだけで充分だった。見えない相手と鳴き交わす鳩のように、この部屋にいても、遠くの気配を感じることはできる。雨の匂い、鳥の声、雲を透かして届く柔らかな光。世界は、案外たくさんの音と気配で満ちているらしい。

耳を澄ませば、今日もどこかから声がする。私も心の中で、何か応えようとして、やめた。「ああ、ここにいるよ」と。その声は、木霊のように返ってはこない。ただ、壁に吸い込まれて消える。

それでも、雨は降り続く。鳩は、まだ鳴いている。静かな朝の出来事として。

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