短編: 夢のような恐怖体験
2024年06月28日
長い坂を登っているあいだ、足下をどこから射しているのか分からない薄明かりが照らしている。
蒸し暑い晩で、気持ちの悪い風が吹くが、それがどこから吹いているのかよくわからない。
坂を登り切ったところには氷屋がある。氷屋の前には真っ暗な墓地が広がり、たまに人魂が出るという。
時間は、もう市電もなくなったころ。
ひとりでやっている氷屋で、どうせ寝られないからと遅くまで開けているらしい。
その主人はしきりと「どこからやって来たのですか」と聞いてくる。
ときたま犬の遠吠えが聞こえてき、主人が言うには、その犬は小さないぬで、遠くのほうで瞬時に移動して、いまこの方角から遠吠えが聞こえたかと思ったら、次の瞬間には別な方角に移動しているという。
つぎに生気の無い女性がサイダー瓶に酒を買いに来た。その女性はよく酒を買いに来る常連のようである。しかしその女性の旦那はさいきん亡くなっていて、一人暮らしな筈なのに、どうしてこんな遅くから酒が入り用か不思議になる。
おそらく亡くなった旦那がたまに家に帰ってくるのではないだろうか。
そもそも、その氷屋でもついこのあいだに奥さんが亡くなっていて、主人が言うにはその奥さんがいま茶の間に座っているというのだ。
最初はお互いに向き合って座っていたが、亡くなった奥さんが片膝をついて立ち上がるそぶりをみせたので怖くなり店に逃げたところに客が入ってきた、だからその客がどの方向から来たかわかったのだ。
客が来た道の先には家はなく、お墓しかないそうだ。
だから主人は始終「どこから来たのか」と聞いてきていたのだ。
客は最後に主人から「墓地から来たのでしょう」と聞かれて「ああそうだよ」と答えてしまう。主人は客がお金を払おうとするが「お代なんかいりません。帰ってください」とつっぱねる。
そのときに亡くなった妻が座っていた茶の間の障子がすーっと開き、聞き取りにくい声がする。それを聴いた主人の表情が怖くなり、客は店から飛び出して、もと来た坂道を引き返す。
四つ辻を抜けて、気づくとその先の墓地の道を歩いていた。
さてこの物語の何が怖いのだろう。
どこから射しているかわからない足下の薄明かり、
瞬間移動しながら遠吠えを繰り返す犬、
亡くなっても家に帰ってくる、女性の旦那と氷屋の奥さん、
ひとだま、
墓地からやってきた客。
結局、ほんとうに怖いのは、そう思ってしまっている自分自身なんじゃないだろうか。