シュタイナーの言う魂と私のイメージにある魂の違い
2025年04月19日
先日シュタイナーの「神秘学概論」という本のはじめの一章を読んでみたのですが、そのときシュタイナーの魂という言葉の使い方が腑に落ちなくてシュタイナーの「魂について」という本を手に入れざっと110ページまで読んでみました。
シュタイナーは魂を「植物魂」「動物魂」「人間魂」と区別していたようです。
そして人間は、「体」「魂」「霊」で出来ていると考えていたようです。
またシュタイナーは人間魂は輪廻転生により進化するとも考えていたようです。
魂がひとつの独立した魂として次の世代に移り進化していくには、魂自体に認知や記憶という機能がなければ輪廻転生をうまく考えることが出来そうにありません。
ここらあたりが「神秘学概論」を読んだときに私が受けた違和感ですね。
まず私は人間を「体」「心」「魂」から成ると考えています。
「体」と「心」はこの世の人間から見たり感じたりできますが、「魂」はこの世とは違うところに繋がるもので、それを人間が直接に感知することはできません。
また心や体が認知したものを魂が記憶することもありません。
ただ心と魂の間でなにかしらの相互作用はあるとは思っています。
次に輪廻転生についてですが、いちお私も輪廻転生はあるとは考えているのですが、ただそれはひとつの独立した魂という形での輪廻転生ではなく、人の魂は死ぬとこの世ではないところにある大きな魂のかたまりに混ぜられ、そのひとつの大きな魂のかたまりに帰るのだと思っています。
だから人がこの世で良い行いをしてその魂が綺麗になれば、その魂の混ぜられたプールはちょっとだけ綺麗になり、その逆だとちょっとだけ汚くなるという感じですね。
もしシュタイナーの言うような魂の輪廻転生ならば、自分の来世のためにこの世で頑張って魂を成長させようとなりますが、私のイメージは上で書いたとおりです。
魂は人が亡くなると、それはひとつの魂のかたまりに溶け込みひとつの大きな魂へと帰ります。
そして次に新たな生命が誕生すると、その魂のかたまりから必要なだけの魂がすくい取られ与えられます。
すなわちこの世の生き物は、みんな同じ魂を持って生まれてきたということです。魂の進化やそれによる優越などありせん。
結局のところ人にとって大事なのは、この世で自分の持っている心をどうするかです。
それにより生まれたときに与えられた魂を汚すのか綺麗にするかが決まります。
神秘なことをこの世に持ち込み自分や魂が成長するためにあーだこーだするよりも、自分の心に集中して今を生きていくことが大事です。
この世で成長するのは魂ではなく心です。
神秘なことに傾倒すると逆に心を曇らせてしまいます。
自分の魂が来世でどうなるか、前世でどうだったか考えるよりも、この世で今をどう生きるかを考えることが大事です。
この世で神秘なことを考えすぎるのはよくありません。
しかし外部から影響を受けないために自分なりの考えを持つことは大事だと思います。
それも過ぎるたるはよくありません。
神秘なことを考えるのはほどほどにして早々と切り上げましょう。
それよりも今をどう生きるかです。
そのためには日頃から魂ではなく心を養いましょう。