シュタイナーの言う魂と私のイメージにある魂の違い
先日シュタイナーの「神秘学概論」という本のはじめの一章を読んでみたのですが、そのときシュタイナーの魂という言葉の使い方が腑に落ちなくてシュタイナーの「魂について」という本を手に入れざっと110ページまで読んでみました。
シュタイナーは魂を「植物魂」「動物魂」「人間魂」と区別し、人間は「体」「魂」「霊」の三つから成ると捉えていたようです。
さらに、人間の魂は輪廻転生によって進化していく、というのが彼の基本的な考え方です。
魂がひとつの独立した魂として次の世代に移り進化していくには、魂自体に認知や記憶という機能がなければ輪廻転生をうまく考えることが出来そうにありません。
ここらあたりが「神秘学概論」を読んだときに私が受けた違和感ですね。
まず私は人間を「体」「心」「魂」から成ると考えています。
「体」と「心」はこの世の人間から見たり感じたりできますが、「魂」はこの世とは違うところに繋がるもので、それを人間が直接に感知することはできません。
また心や体が認知したものを魂が記憶することもありません。
ただ心と魂の間でなにかしらの相互作用はあるとは思っています。
次に輪廻転生についてですが、いちお私も輪廻転生はあるとは考えているのですが、ただそれはひとつの独立した魂という形での輪廻転生ではなく、人の魂は死ぬとこの世ではないところにある大きな魂のかたまりに混ぜられ、そのひとつの大きな魂のかたまりに帰るのだと思っています。
だから人がこの世で良い行いをしてその魂が綺麗になれば、その魂の混ぜられたプールはちょっとだけ綺麗になり、その逆だとちょっとだけ汚くなるという感じですね。
シュタイナーの言う輪廻転生であれば、「自分の来世のために、この世で魂を成長させよう」というモチベーションが生まれるでしょう。
しかし、私のイメージは少し異なります。 魂は、人が亡くなると個性を失い、一つの大きな「魂の源泉(かたまり)」へと溶け込んで帰っていく。
そして次に新たな生命が誕生すると、その魂のかたまりから必要なだけの魂がすくい取られ与えられます。
すなわちこの世の生き物は、みんな同じ魂を持って生まれてきたということです。魂の進化やそれによる優越などありせん。
結局のところ、私たちにとって大切なのは、この世で「自分の心」をどう扱うかです。
もちろん、他者や外部の言説に振り回されないために、シュタイナーの思想をフックにして「自分なりの宇宙観・死生観」を持っておくことは有意義だと思います。しかし、それも過ぎたるは及びざるがごとし。神秘的な探求に傾倒するあまり、今ここにある現実が疎かになっては本末転倒です。
変えられない「来世の魂」を思い煩うよりも、今この瞬間の「心」をどう養い、どう生きるか。神秘の探求はほどほどに切り上げて、私たちは今、目の前にある生に集中するべきではないでしょうか。