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貝の道

2025年04月14日

弥生時代に西北九州沿岸部で腕に装備する貝輪がはやり、その原料となる貝の供給元が沖縄島でした。

この最初の貝の交易は弥生時代後期まで約800年間続いたそうです。

その間に沖縄島にある貝殻を集積していた遺跡から出土する土器には九州本土の弥生土器以外にも奄美群島の土器もあり、貝殻の輸送には九州中南部の人たちに加えて奄美の人たちもいたのではと言われています。

沖縄島以外の南島には貝殻集積の跡が見つかっていないと言うことなので、奄美は単にリレー場所で、船員の入れ替えもしくは休憩場所だったかもしれないですね。

このとき九州の弥生遺跡で発見された貝輪は、60遺跡で671個なのだそうです。

実際の貝輪の数がこの何倍になるかわかりませんが、数からするとそう頻繁には交易は行われていなかったのかもしれません。

この最初の貝の道は紀元一世紀のうちにほぼ収束したそうです。

貝の道はこの後、古墳時代になりまた盛んになり、この時の消費者は首長層ということなので、交易はだいぶ格式張ったものになったのではないでしょうか。

このときの貝の輸送者は弥生時代と同じ、中九州と南九州と奄美群島の人々だったようです。

この二度目の貝の道は七世紀に終わったそうです。

この頃の種子島には、上述の貝の道を使わずに自ら直接南の島々に出向いて貝を手に入れ、それを見事な装飾品に作り上げた広田人という人達のいたことを私はとても気になります。

芸術性と霊性は同じ脳機能を発揮させるそうで、それを考えるとこの広田人という人たちは沖縄のノロやユタというシャーマンの元になった人達ではないかと想像してしまいます。

また鹿児島にはモイドンと言われる聖地が多数あり、これが貝の道によって沖縄に伝わり沖縄の拝所や御嶽のルーツになったのではという想像も膨らみます。

とにかく沖縄はまったく独自に文化を発展させたわけではなくて、弥生時代から貝の交易を通じて九州本土や南島と交流があり、それらの文化から常に影響を受けてきただろうということです。

※下記で「貝の道」にあったヤコウガイの集積地として奄美大島のみを紹介していますが、実際は久米島にもヤコウガイの集積地があったようです。

※また下記に展開している歴史推理はまったくもって私個人の頭の中でこうだったら面白いなと想像したものであることをご了承ください。

貝の道はこの後も続き、三度目の「貝の道」では、螺鈿の原料であるヤコウガイが輸送材になります。奈良時代に唐から伝来した螺鈿細工の影響です。螺鈿細工では大量のヤコウガイを消費するらしくその交易は大々的に行われました。

これより前の貝の道では奄美大島は単なるリレー地だったようですが、ヤコウガイにおける貝の道では奄美大島、喜界島、徳之島が大きな役割を担います。

奄美大島にはヤコウガイの集積地が作られます。ヤコウガイを独占的に安定供給するためには奄美大島での集積が必要だったのでしょう。

徳之島ではヤコウガイと交換されるカムイヤキが作られます。

ヤコウガイとの交換材としてカムイヤキの他にも滑石製石鍋や陶磁器があり、それらが喜界島に集められヤコウガイと交換するために沖縄島や遠くは宮古島・石垣島まで運ばれていきました。

ここまでになると奄美大島周辺には政治的社会があったことになります。

これは一種の国家事業であり、季節風を利用した交易であることを考えると、沖縄への滞在も季節単位となったので、関係者の安全を図るために武力のある者達を帯同させたり、また滞在も小高い場所に柵を設置するなどして安全を確保したのではと想像できます。

そういう場所がその後発達するといわゆる「土から成るグスク」になったかもしれないし、またそこに住んでいた人たちが麓に降りたときにはそこは「腰当ての森」となったのかもしれません。

ここで面白いのは、奄美と沖縄の間の交易では交換材としてカムイヤキ・滑石製石鍋・陶磁器が使われましたが、九州本土と奄美の間の交易には交換材に「鉄」が含まれました。

すなわち奄美地方には沖縄島よりも先に「鉄」が入りそれが蓄積され軍事は沖縄島より強力だっただろうと想像できます。

その後、奄美地方から沖縄島に鉄を持った有力者がやってきて、奄美と地形の似ているヤンバルあたりに住み、稲作で人口を増やし按司となったということも想像できます。

その後、倭寇が活動する時代となり、その倭寇対策として明より琉球に使者が来て、当時の琉球の有力按司達が明と朝貢を行いますが、突然にその朝貢と関係の無いところから現れた第一尚氏により中山と北山が滅ぼされて琉球は統一されます。

この第一尚氏ももしかすると鉄を持ち奄美方面からやってきた有力者だったのかもしれませんね。

以上で「貝の道」から出発した私の空想的歴史解釈をおわります。

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